『PROTEUS』 レビュー 「どこまでが『ゲーム』か」

  • 2013/02/19 レビュー

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私は精神によって測られるべきである 精神こそが、人間のもの差しなのだから
- ジョセフ・メリック

プレイ時間二時間弱。2周クリア。
※開発様よりプレスプレビュー版をいただいてのプレイ。
※体験しないと意味がわからない類の作品ではありますが、展開について軽微ネタバレがあります。

はじめに

古くは、1995年にプレイステーションで発売された『アクアノートの休日』。
そして、2012年にリメイクされた元HLMOD、『DearEsther』など。

これらの作品は、「ゲームらしいゲームシステム」を捨てて、
「ただ、彷徨うだけの体験」を、提供しました。

今回紹介する『Proteus』も、その『DearEsther』の系譜に連なる作品で、
その参照元と同様に、孤島を歩く体験自体が、メインとなる「非ゲーム」
です。

そんな『Proteus』ですから、通常のゲームのようにご紹介するのは、とても難しい。

というわけで今回は、形式的に近い作品である『DearEsther』、
そして、『アクアノートの休日』との類似、あるいは差異などから、
本作のもっている独特の楽しみを、ご紹介出来ればと思います。

Dearesther

基本的には、『DearEsther』に似たゲーム

『DearEsther』との違い

GAMELIFEさんの言葉を借りるならば、
『DearEsther』は、「アートでも雰囲気でもない純粋な「体験」
」でした。

「(アート的に)外部情報」を読みこまずとも、
ただ歩きまわるだけで、独立して、直感的な面白みを感じることができる。
『DearEsther』には、ある種のわかりやすさがありました。

だからこそ、他の多くの「アートなゲーム」と違って、
少なくない支持を獲得できたのです。

一方、『Proteus』はどうだったか。

パッと見て分かる通り、本作には、緻密でリアリスティックなグラフィックはありません。

さらには、バックグラウンドを感じさせる断片的な情報どころか、
メニュー意外に、テキストがまったく存在しておらず、
プレイ一周あたりの時間は、50分程度の小ボリュームときています。

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決して見栄えはしない、グラフィック

一見、「ほとんど何も無い」ように見える『Proteus』。
では一体、なにが「有った」のでしょうか。

「イメージの手触り」

プレイしてすぐに感じるのは、
『Proteus』の世界が、実に生き生きとしている、ということです。

輪郭の柔らかい、ゆったりした環境音や、様々な反応をみせる生き物。
移り行く天候、収束する光の粒、そして流れ星。

夏を謳歌するように飛び回っていた虫達は、秋になれば地に落ち、
春に咲き乱れた桜は、冬の季節には、見る影もありません。

四季を模したように、章ごとに切り替わっていく、世界の表情は、
実にドラマティックで、ある種の無常感すら漂っています。

さて、極めて「簡素」な『Proteus』が、
なぜこのような、豊かな手触りを感じさせることができるのか。

それは、「行間を読んでしまう」からです。

私たちは、抽象度の高い、記号的な情報を見せられると、
それを補完しようとします。
そして、補完によって「再構築」されたイメージは、
イメージの中に限って言えば、「現実と変わりがない」。

『Proteus』は、グラフィックを、そして「ストーリー展開」を、
必要最低限ギリギリのミニマルな形式に統一することで、
プレイヤーに「スキマの補完」を促し、情報を「再構築」させています。

だから、「カクカクしている」にも関わらず、その世界は生命感にあふれているのです。

『DearEsther』は、断片情報をばらまくことによって、想像力を刺激しましたが、
『Proteus』は、それを「ゲーム全体」で行なっている
のです。

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「この」気持ちよさが、本作にはある

さて、
その「デザインのそぎ落とし」は、補完的想像力の喚起とは別の「ある意図」がありますが、
その前に少し、『アクアノートの休日』と、「背景」の話をしてみましょう。

「環境ソフト」と、「非ゲーム」

『アクアノートの休日』以降も、飯田和敏さんの作品は、意欲的かつ挑戦的でした。
しかし、それは言ってしまえば「散発的」であり、多くの派生、あるいは類似作品には、
根底にあった「革新性」までは、引き継がれて行きませんでした。

他方、2012年(MOD版は2008年)の『DearEsther』は、
すぐに、より「ラディカル」な『Proteus』を生みました。

これは、些細な違いにも見えますが、重要な示唆を含んでいると考えることもできます。

『アウターワールド』のクリエイターとして有名なエリック・シャイ氏は、
先日の対談で、「最近のオススメ作品」として『Proteus』を紹介し、
「昨今のインディーブームから、「短すぎる」とか「売れない」といったような
パブリッシャー的重圧から離れた作品が出てきている」
、と発言しました。

そこに、私なりの見解を付け加えさせてもらうならば、
「ゲーム開発の民主化」が十分程度に進んだことによって、「革新は持続可能」になった。
そして、それを象徴しているのが、まさに『Proteus』と言えるのでは
、ということです。

一つの「革新的作品」が、ネットを通じて瞬時に世界中のインディー開発者を刺激し、
「次の挑戦」を誘発することができる。

革新の種は、まかれてすぐに、次の芽を出せるようになりました。

これは「作品そのもの」の話ではありませんが、
皮肉にも「ゲーム的に豪華に」なっていった『アクアノートの休日』と、
『DearEsther』から『Proteus』への二つの流れを対比させることは、
本作の「立ち位置」をとらえる、助けとなってくれる
はずです。

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「ゲームらしく豪華に」なった『AQUANAUT’S HOLIDAY』

Proteus

1980年に公開されたデヴィット・リンチ監督の映画、『エレファントマン』は、
骨や、皮膚などが肥大化する病と戦った、ジョセフ・メリックさんの半生を描いた作品でした。

彼が罹っていたとされる症状は、
「プロテウス症候群(Proteus syndrome)」と呼ばれます。

本作の、徹底的に削ぎ落とされたデザインと、そのタイトルを合わせて考えれば、
作品に込められた、皮肉的な「意図」を読み解くのは、そう難しくありません。

つまり、『Proteus』は、「どこまでがゲームか」、という問いを発すると同時に、
「なぜ、こんなに無駄が多いのか」、という提起をしているのです。

『アクアノートの休日』も、おそらくは同様のコンセプトに基づいてデザインされました。
しかし本作は、環境の整った現代だからこそ、より先鋭的な形態へと「深化」することができました。

本作のデザインは、極めて実験的です。

しかし、そこにとげとげしさはありません。

荒いドットで描かれた世界を通して、何が見えるのか。
確かめてみたいあなたなら、本作を体験する価値はあるでしょう。

無駄なものを捨て去ると、そこにはむしろ、ゆったりとした安心感が残ります。
『Proteus』も、そう。

◆公式サイト
http://www.visitproteus.com/

◆Steam Proteus
http://store.steampowered.com/app/219680/

◆書いた人
@Shoji_Hibino
更新情報は、こちら